Q8

周りにはたくさんの友人がいるのですが、なぜか孤独を感じてしまいます。自分だけが特別なんじゃないかという不安を感じることもあります。こういった思い人間関係を円滑にするにはどうしたらいいのでしょう?

A8-1
なぜ人間関係がうまくいかないのかという原因は、一に自己本位のものの考え方が災いをしています。そして二つに、他人との共通基盤の欠如が上げられます。そして、三つに、自己の位置の存在の不安定性が考えられます。
これらをどのように克服したらいいのかというと、まず、人間関係の調和、秩序の確立には、次の三つの条件が必要です。
人間は「為に生きる存在」であり、自己本位でなく他人の為に、より大なる為に生きることにより初めて自分も生かされるようになっています。「個人は、家庭の為に生き、家庭は氏族の為に生き、氏族は民族の為に生き、民族は、国家、世界の為に生きる」このように、奉仕の生活(為に生きる)が必要です。
しかし、ただ無原則に互いに奉仕しあうというだけでは、長い間秩序を維持し続けることはできません。そこにはなにか、一致できる共通の目的、共通の規範、この責任を持ちこれを管理する共通の中心がいなければなりません。そして、この関係を保つもう一つ大切なことが、能動、受動の資格上の位置を定めなければいけません。このような条件をそろえることにより、円滑な人間関係を築くことができます。
ところが、このような組織はアリやハチにも見受けられます。人間が昆虫のようになることは望みません。このような秩序の三原則が、人間の自由意志、人格の尊厳性を無視して、暴力的な強制、あるいは人間不在の機械的な規律によって、他動的に押しつけられるのであれば、むしろ多少の混乱、矛盾はあっても自由である方がいいと人間は願うでありましょう。ここに他の物と異なる人間独得の高貴な特性一人格があります。
人間は秩序が確立され、物質面においてはなんら不足がなくても、自分で自分の生き方、あり方を決める自由がなければ決して幸福ではありません。したがって、自由ということも幸福実現のための重要な要素であり、上記の秩序の三原則も、この自由によって、自発的にそれを求めていくのでなければ意味をもたないのです。
このようなことが満たされていくときに、心の満足感、充足感があり、孤独感という感情から抜け出ることができるのです。(自由については次回に回します。)

A8-2
自由というと無秩序な、勝手気ままなことが自由と考えてしまいます。もう少し深く考えると、歴史的に社会が閉鎖的だったころは、とにかく束縛から解放されたいという意味の自由を求めていました。現在では、この自由を求めることが多いのかもしれません。1970年代、80年代のころの学生運動はこういう自由が激しく求められました。20歳を前後する年頃は、自己実現を追求したいという思いに駆られ葛藤する年頃です。
ルネッサンス的自由は、どちらかというと消極的な目的で、何かをしたいというものではなく、とにかくほっといてほしいというような意味合いが込められています。このような自由を求める生活をすると、感性的欲望に振り回されます。この欲望を満たすために反復して刺激を求めるようになるため、倦怠感、焦燥感そして、このままでいいのかという不安が生じ、さらに強い刺激を求める生活となってしまいます。その解決が社会的地位・身分・職業に就くことに関する選択の自由と見、そのような外的ことや物質や地位のような客観的条件に目を奪われ、それに振り回され続けます。これが自由を求めた特徴の結論なのです。それでも、これでいいのかという絶え間のない不安がまだ残りつづけるのです。
いったい何が欠けているのでしょう。

これは人間=物質という価値観の行き着くところとなるのです。(唯物論)

人間が内心で願っているのは、なによりも自分自身を深め、高め、完全なものにしていくことであり、この欲望が果たされなければ、外的にはいかほどすばらしい環境や地位があたえられても、なお、「自分のなすべきことをなし終えていない」という不安や焦りを感ぜざるをえず、年を取ればいっそうその挫折感を深く感ぜざるを得ないのです。
従って、人間にとっての意味ある自由とは、自分の人格の問題となんらかかわりのない外的な事物や状況や選択することではなく、ほかならぬ「自分自身のありかた」を自分で決め、完全性を目指して自己実現、自己創造をなしていくことにあるといわなければなりません

それでは一体なぜ人間はそのような「完全性」を追求し、それを自己の一身において実現しようと企てるのでしょうか?
この「完全性」へ向かってのあくなき追求は、換言すれば、自己のうちに可能性として潜在している価値をあますところなくあらわし尽くそうとする価値実現の欲望であり、この欲望はまた、自分が認められたい、理解されたい、もっと端的にいえば、愛されたいという欲望と表裏一体をなしています。
自由→完全性の追求→価値実現の欲望→愛されたいという欲望
ここに現れてくる「愛されたい」という欲望、あるいは逆に、自分が主体の立場に立っての「愛したい」という欲望、これが人間の自由のいまひとつの根本的な存在意義というわけです。