2014.1.19 日曜礼拝

「信仰生活とは」  坂口松三郎

信仰生活は必ず傍観者の立場を脱皮しなければなりません。皆さんは今、先生に従っていますが、先生を中心として信仰生活をするのではありません。皆さん自身を中心として信仰生活をするのです。ですから、信仰生活をする人には、人がどうであろうと、自分が一人で守っていくべき信仰の道があるのです。
そのような信仰生活は、周りの人からは学べない深い心情の世界において、天を中心として一人で感謝する生活、ひとりで満足する生活ができなければなりません。
世の中がどんなに悪くても、天地を見つめながら「感謝します。私は幸福です」といえる信仰生活をしなければなりません。
「信じて行えば、できないことはない」このような信仰観をもたなければならないのです。「第一の主体は神様であり、私は対象である。完全なプラスは、完全なマイナスを創造する。自分は第二の神様、第二のイエス様、第二の父母様の立場にいるので、その立場に到達できる!」という考えを持たなければなりません。
先生がどのようにして世界的な仕事を独りでしているのかということを考えるとき、このような哲学的背景を中心として、直接的に国を消化していっているからです。ですから、先生の前に潔く「私たちは、これを伝授されて、間違いなくそのように生活します」と約束しなさいというのです。   天聖経8-1-1-1

その昔、私は礼拝の教会長の説教が面白くなくて苦痛でした。何故礼拝が必要なのかわかりませんでした。ところが、ある日語る人物が問題ではなく、その背後におられる神様がいらっしゃるということがわかったのです。ここまで、私は40年掛かりました。
天国に入るには服装が問題です。男性はワイシャツ、ネクタイが必要だとお父様が決められました。だから私たちもそうしなければいけません。
聖歌を歌い準備し時間は厳守しなければいけません。できれば、早く来て、奉仕の精神で教会を掃除して準備するのもいいでしょう。み言葉を受ける準備がなされます。
生活は繰り返される、信仰生活も毎日同じ事を繰り返して永遠となります。朝起きて、神様に挨拶をして、夫婦で挨拶をする。神様も、名前を呼ばれると無視できない神様です。
夫婦で喧嘩をしたときはすぐに謝ることが大切です。心に傷が付いてしまいます。
感謝していないから愛しているといえない。愛は永遠に生長し、喜びも無限に繁殖していくので、まず感謝できる私にならなければいけません。