2014.3.30 日曜礼拝

「記憶」 卞鍾胛教会長

神様も、情、知、意を持っていらっしゃいます。神様から造られた人間に情、知、意があるのですから、神様は言うまでもありません。たとえこの地上の人類が堕落の子孫だとしても、本来は神様御自身の血族であり、直径の息子、娘なので失った息子、娘を探し求める父母以上の心情で歩んだお方が神様です。
ですから、私たちがこの地に対して涙を流し、死と苦痛で倒れ、悲哀に満ちて悲しむ場面が、正に神様の悲哀と悲しみが反映された場面、場面なのです。
ですから、善良な人を軽視し、善良な人を迫害し、善良な人の命を奪った個人、家庭、民族は長続きしません。神様がそれを記憶するからです。
従って、私たちは自らの涙が落ちるたびに、天の涙が落ちることを知らなければなりません。恩讐に対して無念で悔し涙が湧き起るたびに、神様が赦しの涙を流されることを私たちは知らなければなりません。
恨みを晴らしても「おい、こいつ、お前はよく死んだ」という神様はありません。人を恩讐だと思って打つのではありません。(天聖経1-2-1-9)