2015.12.6 日曜礼拝

「忘れるべき事、覚えるべき事」卞鐘胛教会長

愛して忘れ、もっと愛そうとするところに、生命を投入して忘れ、もっと投入するところに真の愛が済むようになります。価値のあるものを一度に、すべてあげても忘れてしまうのです。なぜ忘れなければならないのでしょうか。もっと与えようとするので、忘れなければならないのです。母親の愛は与えてそれを忘れてしまう愛です。それをすべて帳簿につけて、見返りを受け取ろうとはしないのです。
自分のお乳を、生命を分け与えてあげながらも喜びます。堕落した母親でもそのような心情なのですから、みなさんは、それ以上にならなければなりません。すべてのものを投入しても忘れてしまう人の中に、真の愛が永遠に存在するのです。(天聖経276P)

今日は無条件に許しなさいという話から始まります。あなたが親を越しても、あなたが親を裏切っても許してあげましょう。不満がぶつかってもケンカになってしまう。条件が足りなくて不満になってケンカになってしまう。真の愛を与えて忘れなさい。なぜあげて忘れるのか。また投入するためだから。反応がないから愛したくない。反応がなくても愛したい。投入するために忘れなさい。
記憶する部分と忘れる部分がある。神様が愛するからここにいるのか、自分ががんばっているからここにいるのでしょうか。愛する価値があるから今の私を見ないで目的に向かって、そこに愛を投入されているのです。願いがあって投入しているのです。