2015.3.8 日曜礼拝

「合同礼拝」 朱鎭台地区長

あたらしいこの一年、天一国三年を迎えました。この日を待ち焦がれたように、天は私たちに対して白い雪を今日降らせてくださいました。この白い雪のごとく美しくけがれをしらない生活を生きていくようにと祝福を与えてくださったということを私は知っています。
愛する食口の皆さん。
皆さんは天一国三年を迎え、特別な青羊の年にどのような決心をして新しい年を迎えましたか。昨年よりは新しい年が、私たちの生活自体が発展しなければならないでしょう。皆さん、この日は本人として、天の前に感謝を捧げ、限りなき恩寵と愛を感じます。聖和以後、三大経典を天の前に奉献しようと努力して参りました。その最後、真の父母経が本日をもって三大経典としてまとまりました。
皆さんはどれほど大きな感謝の心をもって、この日を迎えたのかは知りませんが、天は、六千年の期間を待ったのです。
人類歴史を収拾してこられた天の摂理路程蕩減復帰歴史は、一言でいえば悲惨でした。千辛万苦で一つの中心を立てながら摂理の進む道を見つめながら信じて待たれる天の父母様は立てた者たちの失敗によって天はまた待たざるを得ない立場に立たれました。
ところが1960年、この日は朝日の明るい日でした。人類歴史において空前絶後となる真の父母が出発しました。天が摂理歴史を進めてこられながら、堕落以降、無知な人間を啓蒙してこられながら、多くの宗教を立てられましたが、啓蒙するにも限界がありました。堕落の根本を知らずには、この難問題を解決することができません。難しい、難しい、その中、イスラエル民族を立て、蕩減復帰の摂理を完成なさろうと進めてこられました。
そして独り子を送ってくださいました。ところが、その独り子は光り輝くことができませんでした。そうなるために、天の父母様、かみさまの御心情は本当にひきさかれるような痛みがあったことでありましょう。しかし、四千年育ててこられた民族の中に、その独り子としての位置は残されました。「再び来る」という約束をなさいました。それこそが二千年のキリスト教史であります。であるなら、再び来られるメシアは雲に乗ってきていいのでしょうか。二十世紀が過ぎて行ったように無知な人間は雲に乗ってこられる主のみを信じていました。肉身をもって救援摂理を導かれるメシヤの姿は想像すらできなかったのですが、それこそが統一教会の五十年の歴史です。
私は、今日は良い日だと言いましたが、批判的な発言は避けたいのです。わたしたちは、真実を明かすべきです。今、全世界的に起きている現象を目にした時、誰がこの世界の主人なのでしょうか。主人が見当たりません。
民主世界でしょうか、共産世界でしょうか。豊かな国が中心になるのですか。そうではないのです。真の主人は天の摂理歴史を完成される方でなくてはなりません。
其の方こそ真の父母です。皆さんご存知でしょう。
ロマ書を見ると、渋柿と甘柿の木のたとえがあります。人々はこの聖句を読みながら表現される天の深い御心をよみとれない、渋柿のままでは甘柿の木になることができない。
自分だけの私の家庭だけの祝福として終わらせるなら、今日私が真の父母と生きた意味がありません。祝福家庭は責任を果たさなければいけません。私だけ、私の家族だけの祝福で終わらせてはなりません。私の隣人と氏族、私の国に、真の父母様が、真の主人だということをあかさなければなりません。その道こそ、皆さんが、今日、この時代、真の父母様と同参したという栄光の冠を受ける位置であるということを肝に銘じてください。
ここに集った皆さんのみならず、インターネットを通じて同参されている全世界の祝福家庭の皆さん!
四方八方に真の父母様の顕現を宣布して、真の父母様の教えを持って真の愛を実践する神氏族メシアの責任をすべて果たしましょう。世界で宗教、人権国境をめぐって悲惨に、すべての破壊力の中で辛い思いで亡くなっていく人類をただ見つめていていいのでしょうか。
私たちが自らを正しく教え導き真の父母様の子女として立てていてあげる道、これしか、私たちが願い、神様が願い、みんなが願う真の父母様に通じる道がこれしかないということを肝に銘じて最善を尽くすみなさんとなってくださるように懇切にお願いします。ありがとうございます。