2015.8.9 日曜礼拝

「礼拝」   卞鍾胛教会長

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなた方に進める。あなた方の体を、神に喜ばれる、生きた聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。(ローマ人12章1節)
今日のみ言葉はイエス様亡くなりパウロが伝道され、彼がローマ人に手紙を送ったものです。
「生きた聖なる供え物」「霊的な礼拝」 今日は礼拝の重要性をお話しします。

礼拝とは何かといえば、神様に出会い、尊敬の念を表し、神様に生涯全体を捧げるという意です。日曜礼拝に来て参加することだけでなく、生涯全体を捧げるという。体をもってこなければならない。体なしで捧げるのは礼拝ではありません。

今日は用事があるので礼拝に参加できませんと教会長に相談されても、私は神様でないので、神様に聞かなければならないので、私に聞かないでください(笑)。
礼拝は生きた供え物で一週間を捧げることなのです。予約するとその人だけが入れる席なのです。
霊的礼拝とは、当然捧げるものなのです。聖書の66巻は神様に礼拝しなさいということが書いてあります。礼拝はモーセの十戒の4番目にかいてあります。
長い歳月を捧げ神様からいただいた御言葉です。神様は私たちの事情をよく御存じです。詩編139編1「主よあなたは私をさぐり、私を知り尽くされました。
座ることも、立つことも、私が歩むことも、私の心が伏すこともすべて知っておられる神様です。」
さらに、出エジプト20章8節「安息日を覚えてこれを聖とせよ」アダムとエバが堕落した状態なので旧約のみ言葉で安息日を立てられました。また、予約した席にあなたが来なくてもいいと思わないでください。出エジプト20章5節には「私は、ねたむ神であるから、私を憎む者には、三代、四代滅ぼす存在でもある」といわれています。
礼拝は、そのすべてが感動的なものでなくても、その人にとって、復活する御言葉が一つあればそれでいい。求めてきて、得られるものが一つあればいいのです。
期待して神様にあいにきてください。子としての道理を捧げ、生きた祭物の気持ちで来られることをお願いいたします。